| 二代教会長のお話 | 2023.10 | |||
| 「おかげを受けて徳を積ませて頂く」 明治6年10月10日の御神伝、いわゆる、今までの御理解第3節ですが、『天地金乃神と申すことは、天地の間に氏子おっておかげを知らず、神仏の宮寺社、氏子の家宅、みな金神の地所、そのわけ知らず、方角日柄ばかり見て無礼いたし、前々の巡り合わせで難を受け、氏子、信心いたしておかげ受け。今般、天地金乃神より生神金光大神差し向け、願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせ、末々まで繁盛いたすこと、氏子ありての神、神ありての氏子、上下立つようにいたし候。』というふうに言われております。それで、どれ一つを取っても大事なことばかりで、これ以上縮めることが出来ないというぐらいに、信心というものを良く表わされております。 しかし、今までの信心とこう言いますとね、つまり、我々が「叶わぬ時の神頼み」で、事があったらお願いする。また、事がなかったらいつの間にやら信心をやめてしまう。というのが、この長い間の日本の信心なんですが、このお道の天地金乃神様は『天地一杯の神様である』とこう言われるのですから、『目には見えないけれども神の中を分けて通りおるようなものじゃ。』と言われ、そして『天地金乃神の広前は世界中である』とも言われております。つまり、「道を歩いておろうが、畑で肥を掛けておろうが、デスクの前で仕事をしておろうが、自動車に乗って走っておろうが、それはみな、天地金乃神の広前である。」ということになるんです。 ですから、この教会でも、神様が祭られておりますが、『神が社に入っては、この世が闇になる』と言われますから、此所へお参りされるということは、信心の稽古をする所であって、お願い事もそら、大事ですけれども、いわゆる、天地に置いて貰うて、その天地のご恩徳を知らせて頂く。そして、『氏子が助からんことには神は助からん。また、無信心者ほど神は可愛い、信心しておかげを受けてくれ。』と言われる、我々人間の心の親様である神様に安心して頂き、喜んで頂けるような信心を一生させて貰うて行く。即ち、徳を積ませて貰うて行く。これが信心ですわ。つまり、信心は見方によったら、大きな意味における生涯教育と言うてもよろしいのではないですか。 ある女の人が、肋骨カリエスに罹られたのです。肋骨カリエスは骨が侵されて、膿がこう出ます。それで、その人のお父さんは、ある大手の倉庫会社に勤めておられるんですが、その娘さんは働くことが出来ません。しかも、お母さんがおられませんので家のことをして行かなければなりませんし、お父さんは仕事柄体を使いますからお酒を飲まれます。そして、生活が苦しいんですね。ですから、お医者さんに掛かると言いましても、今と違って国民健康保険というような制度がありませんから、費用が相当高いので、医者に掛かることも出来ないのです。 それで、この方は教えもよく聞いておられたのですよ。ですから、どうぞおかげを蒙りますようにというてお願いせられたので、こちらも何としてもおかげを蒙って貰いたいということで、神様にお願いし、お神酒さんを渡して上げました。そしてそれを、近所の信者さんに吹いて貰われ、お剣先さんも貼って貰うておられました。そういたしますと、段々と膿が少うなって来て、しまいには膿が出ないようになりましてね、大きなおかげを蒙られたのです。それでその人は「これで母親の代わりも出来ますし、弟や妹の面倒を見ることも、家を取り仕切ることも出来ます」とこう言われて非常に喜ばれたのです。 ところがその後、お父さんが、どういうふうなことであったのか知りませんが、福岡の方へ変ることになりまして、一緒に行かれたのです。それで、こちらもうっかりしておりましたが、福岡のどこへ行かれるのか聞いていなかったのです。けれども、おかげを受けられたことでもありますから、その後ででも、「福岡のこういう所に居ります」というて、知らせて下されば、福岡、いわゆる北九州は信心の熱心な所ですから、教会を紹介しますよ。それが、行ったきりで、信心が続いておるのやら、続いていないのやら分らないのです。 しかし、大きなおかげを蒙るということは、おかげを蒙ったことが有り難いというよりも、その信心の入り口を見せて頂いた。そのことによって今度は、親先祖が助かり、子孫も立ち行くということになり、『先の世まで持って行かれ、子孫まで残るのは神徳じゃ。神徳は信心すれば誰でも受けることが出来る。無くなると言うことはない』というほどの信心ですから、一生して行かなければならない。そうして、徳を積んで行かなければならない。それが若し、信心がそれっきりで続いておらないというのであれば、こちらもいけませんでしたが、本当に惜しい感じがいたしますね。 それが、皆さんのように続いて来ておられるということは、どれほどのことかということを、よくよく自分で自分の信心を喜ばせて貰わなければならない。と同時に、私どもは今はええと一概に言えない。もっともっと心を引き締めて、この信心の尊さをよく思わせて貰うて、大きな願いを持って、國を救い、世界を救う。教祖の神様が『三千世界の日天四の照らすもと、金光大神でき、神のおかげ知らせ致してやる』とこう言われるぐらいですから、どうぞ自分の手元のことだけ、目先のことだけ、うまいこと行ったらええ。というような信心でなしに、大きな願いと思いと持たせて貰うて、そして、信心をして頂きたいのでございます。どうぞ、おかげを蒙って下さい。 二代教会長先生が掲示板に書かれたお言葉 ![]() |
||||