二代教会長のお話             2023.11
 
    「教祖の神様のご信心」
     この教祖の神様のご信心についてということになりますと、人によって重点、すなわち大切な所の一つの山というてよろしいか、その山の取り方が皆違うでしょうと思います。また、教祖の神様のご伝記で、生きられ方には、今申しましたように、色々な見方があるでしょうけれども、私は、この安政2年の所を一つの山と見ます。いわゆる、「狭い家を大家(おおいえ)に仕り、方角を見てすんだとは私は思いません。」そして神様は『戌の年はよい。ここへ出て来い、今言うた氏子の心得違い、その方は行き届き、正月朔日(しょうがつついたち)に氏神広前参り来て、どのように手を合わせて頼んだか、氏神はじめ神々は、みなここへ来とるぞ』と言われた。すると教祖は「ここまで書いて、おのずと悲しゅうに相成り候」というふうにいうと、神様からですね、『金光大神、その方の悲しいのでなし、神仏、天地金乃神、歌人なら歌なりとも詠もうが、神仏には口もなし。うれしいやら悲しいやら、どうしてこういうことができたじゃろうかと思い、人が助かり、神が助かるようになり、思うて神仏悲しゅうなったの』と、このようにございますね。
 その次は、教祖の神様は次々と信心を進めて行っておられる。そうして、一寸触れても、七墓築かすというような厳しい「秋霜烈日」のごとく、いわゆる「秋の霜は草木を枯らし、夏の強い日差しは非常に厳しく容赦をしない」と、いうほどの恐ろしい金神様を福の神として、私どもの心の親様であり、天地の親神様として頂かれて行くようになられたという、その信心の展開というか、信心の進みというか、禍の神を福の神と頂かれるというところに、一つの大きな山がありますね。
 3番目には、教祖の神様は、明治6年に布教差し止めというのがありますが、その前に、大工が悪い事をして『大工の腹腐りたり』ということになって、お広前の普請差し止めというのがあります。そのために教祖は6畳一間で一生ご用をせられるという大変なことであったと思うのです。
 ですから、『この普請成就せず』ということに加えて、布教差し止めということですから、これは、二重三重に悪い事が起こっています。ですから、神様が『心落とさず、ゆるゆる休め』と言われていますが、『心落とさずゆるゆる休め』ということは、教祖自身が非常に気落ちされたということを意味しますね。なにも気落ちしておられなければ、『心落とさず』というお言葉がある訳がないと思います。やはり、ガッカリされたというところがありますね。そして、神様が次に『10年ぶりに風呂へ入れ』と言われるのでお風呂を頂かれると、教祖は戌の年ですが、『酉の年1歳』というふうに神様が言われております。また、教祖は神様を内らへ仕舞うてしまわれておりますから、広前が『荒れの茫所と相成り候』というように言われ、ご自身は内らにお入りになっておられます。すると、時には官憲(巡査)が表に立っていて、参って来る人たちを追い払うというところがありまして、それで、奥様が参って来る信者さんに「天地金乃神様は天地一杯であるから、どこで拝まして貰うてもお広前であるから、わざわざここへ来られなくともよろしいですよ」というふうに言われております。ところが、全然ご用が出来ないということであるのに、3月16日に神様が『天地金乃神 生神金光大神 一心に願え おかげは和賀心にあり 今月今日でたのめい』という「天地書附」の元が出ております。そして、3月21日に「お広前でのご用をしてよろしい」ということになり、9月10日に現在の「天地書附」が出ます。さらに、お結界の形が出来たのであります。
 そして、10月10日に『天地金乃神と申すことは、天地の間(あい)に氏子おっておかげを知らず、神仏の宮寺社、氏子の家宅、みな金神の地所、そのわけ知らず、方角日柄(ひがら)ばかり見て無礼いたし、前々の巡(めぐ)り合わせで難を受け。氏子、信心いたしておかげ受け。今般、天地乃神より生神金光大神差し向け、願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせ、末々まで繁盛いたすこと、氏子ありての神、神ありての氏子、上下(かみしも)立つようにいたし候』と言われる。これが「御神伝」なのでございます。しかし今までは、『日天四 月天四 丑寅未申 鬼門金神』というふうなことであったのです。ということは、みな布教差し止めの時に出ておりますから、これも一つの山であると言えます。
 また、教祖の神様は『信心しなさい、初めは一人でも、後には日本中の人みなが信心するようになりました。外国の人までもみな信心するようになりました。今ではこの通り大勢になり、この道が海外にも延びて行きます』といのように申され、この大きな大きな望みと言いますか、希望と言い、願いと言いますのか、そういう大きな願いを教祖の神様は持っておられたと思いますね。まだまだ教祖のご信心で大事な所がありますけれども、今日は時間もございませんので申せませんが、また、改めて山の一つ一つを申し上げることに致します。どうぞ、おかげを蒙って下さい。

    
二代教会長先生が掲示板に書かれたお言葉